1週間ほど前から道端でヤギや牛が繋がれている光景をよく見るようになりました。
どの子もやせ細っています。
飼っているの?売っているの?
その訳を知りました、、、
今日は、イスラム教では断食明けのレバランに続く重要な行事である「犠牲祭(イデュル・アドハ)」という私達には聞きなれない宗教行事の日です。
この「犠牲祭」という名の由来は、聖典の民の始祖アブラハムが、神アッラーに息子を犠牲として捧げた事を記念する日。
その、アブラハムの一人息子はアブラハムが80歳をこえてやっと授かった子供でした。そのため、神はアブラハムの’覚悟を知り、息子の代わりに動物を差し出すようにいいます。
このことに起因し、この犠牲さいの日にはイスラム寺院モスクで牛や羊が解体され、貧しい人々などに分け与えられます。
という事。
つまり、あの道端のヤギや牛はモスクで解体されるために売られていたのです。
前夜から、一晩中いつもとは違うコーランが響き渡っていました。いつもより力が入っているのが伝わりました。
生きたまま首を落とされたヤギや牛、皮をはぎ、小さく切り分ける、、、その光景を小さい子供からお年寄りまで祈りながら見ているそうです。
この光景は私達にとっては残酷に聞こえますが、イスラム教では聖なる儀式で、人は何かの犠牲があってその恩恵で生きているという事を目をそらさず向き合うことの大切さを改めて知らされました。
きっと、隣のモスクでもやっているんだろうな。
その様子を見ることは出来ませんでした、、、
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